こんにちは すずき と申します。
少しだけプロフィールなど。
生い立ち
静岡県の魚の美味しいとある港町で生まれ育ちました。
小さいころは本当に自分に自信のない内弁慶な子供でした(基本的に今もあまり変わっていません)。
病気がちで幼稚園を休んでばかり。
小学生のころ
小学校1年生のころは、毎日放課後に居残り。
下校時間まで正座。
当時僕の母は「小学校1年生って最近は遅くまで授業があるのね」って本気で思っていたらしい(第一子だったので分からなかったようです)。
1学期の終わりの三者面談で先生から事情を聞いて初めて事の真相を知ったようです。
今だったら病院行って検査受けろとか言われるんでしょう(僕によく似ている甥っ子は言われたようで、最近は何でもかんでも型にはめたがる・・・)。
でも当時の先生は今とはだいぶ違います(先生というよりは社会がということでしょうけれど)。
母曰く、何故かそんな僕にとても目をかけてくれたようです。
「1年生が一人だけ毎日下校時刻まで残されて正座をさせられていたら普通は音を上げるのに、この子はまったく意に反しません。それどころか、平気で次の日も下校時間まで正座して帰ります(馬鹿なんじゃないですか?)。下校時刻なので、しかたないので返しますが・・・。」
小学校2年生の時の先生の、子供たちに自主的に最後まで考えさせる指導方針がたまたま僕にはハマったようです。
僕は何度か授業の中でクラスで一番最初に正解を導き出すことができたので、今までの自信のない自分から、自分にもできるじゃないかという勘違いをしました。
人生がおかしな方向に行き始めた瞬間でした。
ちょうどそのころサッカー少年団に入り、徐々に体力もつきはじめ、ますます勘違いに磨きがかかっていく上り調子の小学校低学年時代。
中学2年で早くも人生のピーク・・・
男の子はふつう中学生の後半くらいから高校生くらいの間にグンと体力が伸びるのが一般的です。
僕は小学校の後半くらいから中学の初めくらい、他の子たちよりも少し早く体力が伸びました。
うなぎ上りの勘違い絶頂期。
中学2年生から学校を卒業する位までの間が、今にして思えば人生のピーク。
当時はなぜか勉強もできた。
勘違い無双状態で中2病真っただ中。
高校に入って夢から覚めればいいのに、まだ朦朧として夢なのかうつつなのかわからない状況のまま高校を卒業。
大学を出たころやっと「あれ?おかしいぞ」って薄々気がついてはいたんですけど認められず・・・。
とんでもないブラックなのか暗黒なのかわからないような設計事務所で1日20時間以上働くことも珍しくは無く、1か月のサービス残業は余裕で200時間を突破する日常。
正直20代のころの記憶はありません。
命の危険にさらされながら働き、これ以上やったら絶対死ぬなってところで、おかしな根拠のない自信は捨て去りました(やっと大人になれたようです、少しだけ)。
「これ以上やったら死ぬな・・・」
そう思って現実が見えたというべきか。
よく覚えてません。
その後、少しだけまじめに勉強して一級建築士になりました。
でもこれほど役に立たない資格(僕のような人間にとっては)はないと気が付いたのは資格を取った後でした。
世間の波風にさらされ難破船のように漂いながら、只々、だましだまし人生を送り今に至ります。
書いてみれば簡単な人生・・・。
おしまい
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